2025/11/30 20:16

佐賀県唐津市から始まった野球人生。

長崎日大、亜細亜大学、セガサミーを経て、2011年から2019年までオリックス・バファローズでプレーした宮﨑祐樹さん。一軍と二軍を行き来しながらも、9年間プロの世界で戦い続けた彼を支えたのは、誰にも負けない全力疾走とカバーリング、声。そして、足元を支え続けた「SHINDEN×BAソックス」でした。

今回はそんな元プロ野球選手の宮崎さんに、野球に対する考え方や取り組み方、道具の選び方、実際に使用して感じたSHINDEN×BAソックスの特徴などを伺いました。

佐賀から始まった野球人生。甲子園、亜細亜大学を経てプロの世界へ。

ーーー最初に、宮崎さんの野球に関するこれまでの経歴を教えてください。

中学校のときは、地元の佐賀県唐津市のチームで野球をしてました。その後、長崎日大高校に進学し、甲子園に一回出場することができました。

その後は亜細亜大学で4年間、セガサミーという社会人野球チームで2年プレーをして、2011年から2019年までオリックス・バッファローズでプレーしました。

現在は保険会社の営業職として働きながら、社会人軟式野球チーム「Baseball Team NINE」の監督をやらせていただいています。

ーーーそもそも宮崎さんが野球を始められたきっかけってどのようなものがあったのでしょうか?
姉がいるんですけど、小学校2年生のときに姉の同級生の方に、「野球行こうや」って夏休みに誘われて、遊びでその野球チームに行ったことが始まりですね。

今でも覚えてるんですけど、初めてバットを持ってボールを打ったときに、ものすごくボールが飛んだんですよ。ボールがバーンと飛んで、それがすごく気持ち良くて。

その前にスラムダンクの影響でバスケットボールをしてたんですけど、「このリングに届くわけないやん」と思ってやめましたね(笑)。

雑誌掲載が変えた未来。突如現れたプロへの可能性と挑戦に向けた過酷なトレーニング。

ーーー野球をされている中で「本気でプロを目指してみよう」と意識が変わったのはどのようなきっかけがあったのでしょうか?

高校に行くときも、「プロに行きたい」という気持ちは全くありませんでした。そんな中で、高校生のときにプロ注目選手を特集する雑誌に初めて自分が掲載されて、「自分でもプロ野球いけるかも?」と考え始めたのが、プロを目指すようになったきっかけですね。

「大学は強いところに行きたい」という思いで亜細亜大学に進学しました。意識が変わったのは、高校2年から3年くらいの時期でしたね。

ーーー亜細亜大学での練習はどのようなものだったのでしょうか?

練習もきついんですけど、それ以上に野球以外の部分も厳しかったです。

当時の監督や大学の方針として、「社会人として社会に出たときに通用するように」という指導を受けていました。なので、大学野球だけやっていれば良いというわけではなくて、挨拶や書類の提出方法なども一から徹底的に指導していただきました。

練習に関しては、何をやるにしても一般常識的な量と違いましたね。桁が1個多いですよ。屈伸200回とか、伸脚200回とか。でも不思議なものでやっているうちにできるようになりましたね。

プロ野球選手の過酷な日常。年間約355日は戦いの日々。

ーーー過酷な練習ですね…。そのようなトレーニングを積んだ努力も実ってプロ野球選手の舞台に立たれていていたと思うのですが、プロの野球選手は日々どんな練習をされているんですか?
僕の場合は、1年間で休むのは本当に11月終盤に開催されるファン感謝デーの終了後から、12月1日までしか休まなかったですね。あとは全部練習していました。

シーズン中と自主トレ中とオフ期間で、練習の内容が全然違うんですよ。その中で、オフ期間の特に1月はもうめちゃくちゃ追い込んでいました。

ーーーオフ期間の練習では、何を意識して練習されていましたか?

オフ期間は体のキレを意識したトレーニングに取り組んでいました。

「走れなくなったら終わりだな」と思っていて、走る体力が落ちてくると体のキレがなくなるんですよ。だから、走れなくならないように、キレをを意識して、僕は結構やっていましたね。

ーーーシーズン中はどのような練習をしていましたか?

僕はシーズン中はあまり練習できないタイプでした。約半年間の中で143試合あるので。

火、水、木、金、土日試合して、また月曜移動してとなると、もう休むときがないんですよね。

だから、どちらかというと維持ですね。筋トレも体を維持するための動きをしていましたし、あまり追い込むことはそんなにしなかったです。

ただ、修正が必要な時はバッティングの練習や確認をすることはありましたけど、やっぱりガツガツ追い込むっていうのはなかなかできなかったですね。

ーーーそのようなシーズン中の調整では何を意識されていましたか?

とにかく、次の日に疲れを残さないことです。完璧には無理ですが、毎日フラットな体で挑めるようなケアや調整を意識してやっていました。

でもその中で「ちょっと体幹が弱ってきたな」や「腕が弱ってきたな」などを感じた時は、トレーニングで刺激を入れてましたね。

このようなケアやトレーニングしで怪我を防いだり、パフォーマンスが落ちないようにしたりするということをシーズン中は意識してやっていました。

一軍と二軍の狭間で。心理的な戦いとコーチとの約束。

ーーープロ現役時代の試合について伺いたいのですが、試合当日はどんな気持ちで過ごされていましたか?
二軍から一軍に上がったばかりのときとか、特に深いことは考えていませんでした。「やってきたことをやろう」みたいな。

一軍でプレーすることが定着してきて、1ヶ月ほど経つと「ミスしないように」とか考え始めるんです。

でも、その中で僕はどのような状況でもあまりルーティンが変わらないように心がけていました。

ーーー一軍でプレーされていて、好成績を出したとき、例えばヒットが打てたときは、どんな気持ちでその日を過ごされていましたか?

打てたのはいいんですけど、もう次の日のことを考え出すんですよね。僕の場合はレギュラーではなかったので。「明日はこのピッチャーか。どうやって打とう」みたいな。「今日これ打ったから明日これかな」とかを考えていましたね。

でも打てたことはうれしいですよ。めちゃくちゃうれしいし、やる気に満ちあふれているんですけど、同時に不安が襲ってくるという感じですね。

ーーー話を聞く限り心理的にも過酷なシーズン期間だと思うのですが、シーズン中はしっかり夜休めていましたか?

正直に言うと何回か不眠症になりました。あまりみんな僕がそんな感じだとは思っていないと思うんですけど、不眠症になることもありましたね。

やっぱりいろいろ考えてしまって。ミスした日とかは特に「あぁ…」とかありますね。

ーーー思うようにいかず、二軍に落ちてしまったときに、どうやってモチベーションを維持していたんですか?

二軍に行っても、落ち込んだり、そういう姿を見せたりすることは絶対に他人の前でしないと決めていました。二軍に落ちても人よりも全力でやるし、人よりも声だけは出すっていうのを自分で決めていました。これはコーチとも約束していたんです。

これは唯一9年間で誇れることですかね。僕はカバーリングと全力疾走と声を出すということに関しては、絶対誰にも負けていないかなと思っています。そこは自分でも自信を持って言えるところかなと思います。

道具のせいにしないために。シンプルに同じものを使い続ける哲学。

ーーー野球に関するバットやグローブなど、さまざまな道具があると思うのですが、何を意識して選んでいましたか?
「あまり道具を変えない」っていうのを意識していました。同じバットだったとしても、体のせいで重く感じることもあるんですよ。なので、道具のせいにしないためにも、ずっと同じものを使っていました。

ーーー使い続けるにあたって、最初に選ぶときはいろいろ試されたと思うのですが、そのときは何を基準に選んでいたんですか?

感覚ですね。

1年目は「バットどれにしよう」みたいになったんですけど、先輩が「これどう?」とか言ってくださるんですよ。そしたら、「これめっちゃいい」「あ、これだ」みたいな感じになって選んでいましたね。

先輩からもらった一足が変えた9年間。SHINDEN×BAソックスとの出会いと効果

ーーー現役時代にSHINDEN×BAソックスを履かれていたと伺いました。最初のSHINDEN×BAソックスとの出会いはどんなものだったのでしょうか?

僕自身がプロに入ったときから5本指のソックスをいろいろ試して探していました。ミズノさんにスポンサーしていただいていたので、ミズノさんの靴下を履いていたんですけど、グリップの部分がすぐ取れたり、破れたりしちゃうので違うところで買っていたんです。

そのときに、オリックス・バファローズの先輩に谷佳知さんという方がいらっしゃって、たまたまロッカーがとなりでいつもその靴下の話をしていました。そんな時に「これやるよ」と1個くれたのが始まりです。

ーーーそこからずっと履かれていたんですか?

そうですね。谷さんにいただいた1足を履いたら、もう他のソックスが履けなくなっちゃって。他を履くと靴の中で足が滑っちゃうというか。「もう他履けないわ」となって、そこからずっと履き続けていましたね。

ーーー現役時代に感じたSHINDEN×BAソックスの履き心地はいかがでしたか?
めちゃくちゃ良かったですよ。

5本指って履きにくいイメージがあるんですけど、そんなことなくて、しっかり指にフィットしながら履けるんです。

汗かいて履きづらいソックスもあると思いますが、SHINDEN×BAソックスはそれがあまりありませんでしたね。

ーーー野球をする中で、両面グリップだからこそいいプレーができたという場面はありましたか?
試合中は、ベンチスタートだったとしてもいつ出るか分からないので、一回履くと3時間か4時間ずっと履いているんです。

ずっとスパイクを履き続けると結構しんどくなるんですよね。ちょっとでも足がずれたり、動いていたりすると、それが蓄積されていって、やっぱり疲れになってくるんです。

一方で、両面グリップソックスはずれが少ない分、疲労の蓄積が減ってくるので、足の疲れや怪我が減ったかなと思います

ーーーSHINDEN×BAの5本指両面グリップソックスはどんなプレースタイルの人におすすめできそうですか?

どんなプレースタイルの人にもおすすめできます。

今、外国人選手の方も履いてくれていますし、ピッチャーは特にやっぱり1本足で立つことが多いのでおすすめできます。

内野手もこう細かい動きをするときに、ぐっと踏ん張ったりだとか、もう一歩っていうところに効果があったりします。

引退後の新たな挑戦 - NINE監督として次世代に伝えるもの

ーーー今、Baseball Team NINEの監督もやられていると思うんですけど、引き受けることになったきっかけはどんなものがあったんですか?

引退して今の職業に就いたときに、株式会社SHINDENの中本社長から声をかけていただいたんです。中本社長に「どういう仕事をされているか」と聞いた時に、障害者の方と関わる事業をされているとのことで、すごくいい事業をされているなと思って、そこですぐ引き受けました。

私の身内にも障害を持った人がいるので、そのような人を支援することはとても共感できるということもあります。

ーーー指導をする上で、心がけていることや選手との接し方はどんなものがありますか?

僕は何でも話してほしいので、選手と監督の間で壁ができないようにということを意識しています。監督だけどお兄さんみたいな。

否定はできるだけしないようにしているんですけど、間違ったら「間違っているよ。こうした方がいいんじゃない」という感じでコミュニケーションを取っています。

「これ、やれ」ではなくて「あなたはこういう体の作り、使い方だからこうなりがちだから、もうちょっとこうした方がいいんじゃない」みたいな感じでやっているって感じですかね。

ただ、その中で明らかな準備不足や防げたミスがあった時はしっかり伝えるようにしています。

一方で、しっかり準備して負けたのなら「それはしかたないね。じゃあ、もうちょっとこうしてみよう」という発想になるように導くことを心がけています。

ーーーありがとうございます。これまでプロ現役時代や現在の活動にお聞きしましたが、最後に宮崎さんが今どのような目標を掲げていらっしゃるかお聞きしたいです。
正直、今これといった目標はないんですよね。「プロ野球選手になりたい」っていう夢がかなっちゃったので。

でも、「人のプラスになれる存在になりたい」という思いはあります。

例えば、SHINDEN×BAソックスを知らない選手がいて、その選手がソックスを履いてパフォーマンスが上がるんだったら紹介してあげたいです。

今の仕事で若いプロ野球選手に保険やお金についてアドバイスをすることもあるのですが、その人が現役引退した時に「ありがとう」って言ってもらえるんだったらありがたいですし。

このような感じで、ちょっとでもその人のプラスになれるようにできたらいいかなって思っています。